2016年02月10日
芭蕉な碑
江戸時代の日本を代表する俳人松尾芭蕉。
奥の細道はみんな知っているでしょう。
芭蕉と愛弟子の曽良が酒田から大山を経て海岸の景勝地を見ながら温海に着いたのは、元禄2年の6月26日で、その日は温海の鈴木惣右衛門宅に宿泊したとある。
温海のまちづくり団体、「あつみ塾」のメンバーが、このほどその鈴木さん宅の前に説明看板を設置したことが新聞でも紹介された。
他にもあつみ地区には芭蕉に関する碑がいろいろある。
暮坪にもあるし、温海温泉にも供養碑がある。
温海の鈴木宅に泊まってから、芭蕉は鼠ヶ関に向かい、曽良は温海温泉に向かったとある。
芭蕉と曽良が別行動をとったのはこの時だけらしく、なにかあったのではないかと憶測する人も結構いるらしい。
鼠ヶ関にも芭蕉公園があり、その中に記念碑が作られた。
景勝弁天島も眺めて行ったはずだが、創作意欲は掻き立てられなかったのか、鼠ヶ関を読んだ句は残念ながらない。
それでも毎年、芭蕉の足跡を辿ってこの地を訪れる人がけっこういる。
確かに芭蕉はこの鼠ヶ関も通っていったのだ。
奥の細道はみんな知っているでしょう。
芭蕉と愛弟子の曽良が酒田から大山を経て海岸の景勝地を見ながら温海に着いたのは、元禄2年の6月26日で、その日は温海の鈴木惣右衛門宅に宿泊したとある。
温海のまちづくり団体、「あつみ塾」のメンバーが、このほどその鈴木さん宅の前に説明看板を設置したことが新聞でも紹介された。
他にもあつみ地区には芭蕉に関する碑がいろいろある。
暮坪にもあるし、温海温泉にも供養碑がある。
温海の鈴木宅に泊まってから、芭蕉は鼠ヶ関に向かい、曽良は温海温泉に向かったとある。
芭蕉と曽良が別行動をとったのはこの時だけらしく、なにかあったのではないかと憶測する人も結構いるらしい。
鼠ヶ関にも芭蕉公園があり、その中に記念碑が作られた。
景勝弁天島も眺めて行ったはずだが、創作意欲は掻き立てられなかったのか、鼠ヶ関を読んだ句は残念ながらない。
それでも毎年、芭蕉の足跡を辿ってこの地を訪れる人がけっこういる。
確かに芭蕉はこの鼠ヶ関も通っていったのだ。
Posted by nezugaseki at
18:16
│Comments(0)